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Cinemarble

ミニシアター系映画の感想

映画ファンとしての10年をふり返る

私が映画を観るようになったのは、韓流ブームが最も熱を帯びていた時代だ。
近いのに知らなかった国「韓国」のエンタメが、大量に日本に入ってくるようになってハマってしまう。ここで私はエンドレスで映像に向かう気力の基盤を築いたのだと思われる。だが、ドラマの視聴を区切れず、家事を放棄したり生活のバランスが崩れる女性が増え、社会問題にもなりかけていたので、私はここで一旦自分をリセットし、エンタメにどう向かい合うかを考えようと思うようになった。

そんな頃、ちょうど良いタイミングでシネマコリアの映画祭を知った。出会いは全く覚えていない。ネットサーフィン中に偶然HPで見つけたのかもしれない。有名俳優が出ていない映画を試しに一本だけ観てみよう…という軽い気持ちで選んだのが『まぶしい一日』。日韓合作のオムニバスで、インディーズ系の映画だ。

有名俳優が出演している韓国映画も観たいけど、もっと良い映画もあるんじゃないかと思っていた私にとって、この作品はとても衝撃的だった。すぐにでも映画の素晴らしさを誰かと分かち合いたかったが、そんな話ができる友達がいなかったことから、私はmixiを始めることになった。

だが、この映画への考えを自分なりにまとめるまでに予想外に時間がかかり、なんと1年間、何も書けなかった。このことも自分の中では驚きのできごとだ。普通だったら書けないものはそれで終わるし忘れる。でも、私は1年前に観た映画の感想をmixiに載せることになる。

誰も読まないだろうと思っていたものにコメントがついた喜びは今でも忘れられない。
なんと映画祭主催のN氏から、直々にコメントをつけていただいた。
そして、この感想がメルマガやHPで拡散されることになり、出演者のひとりであった杉野希妃さんからメッセージを頂けるなんて…夢のような展開に。

シネマコリア|韓国映画情報 >> 読者評 『まぶしい一日』


この経験を通して、全く興味のない分野への挑戦がこんなに面白いものなのか!と気づき、自分が映画ファンになっていることを自覚した。
そして最初に足を運んだのは、「東京国際映画祭」だった。

東京国際映画祭(以下TIFF)もシネマコリア同様に何もわからないままとにかく行ってみた。そして本当に思いつきで1本だけ映画を選んだ。生まれて初めて観るトルコ映画。

この時の映画が第20回東京サクラグランプリ『迷子の警察音楽隊』である。
鳥肌がたった。偶然選んだ作品がグランプリだなんて…。知らない土地の独特な雰囲気、爆笑ではないけれど、クスッと笑ってしまう暖かな面白さ、ただ勝手さを裁くのではない、小さなエピソードに感じる優しいまなざし…すぐに感想を書けないとしても、確実にこの映画のテイストに魅力を感じた私は、この作品のグランプリ受賞が嬉しかった。

あれから10年。
私は映画ファン道を爆走した。非正規で働く私は、映画業界での仕事にチャレンジしようと思えば、機会がなくもなかったと思う。ちょっとでも映画に関わってみたい気持ちもあったから、ずっと悩み続けていた。浴びるように映画が見られる人たちが羨ましかったし、仲間同士で映画の話をしている彼・彼女らがまぶしく見えた。だが、労働条件は良くなくとも、映画業界で働きたいという人は山ほどいるので、映画を仕事にして生きていくのは至難の技である。それはわかっていたのだけれど、それ以前に、まず覚悟が必要だと私は思った。
映画のために全てを捨てられるか、その覚悟をもてるのか。

残業の多い部署にいるとき、朝は6時台の電車に乗り、夜は12時前に帰宅できることを目標するような日々だったりする。(←映画業界ではない仕事)食事やトイレも後回しになりそうな環境で働いているので、映画なんか観ている暇がない。病院や美容院やたまった家事とかで週末もそれなりに忙しい。けど映画は観たい。映画ファンを自覚するようになった序盤、私は年間200本程度は映画を見ていた。だけどそれがエスカレートしていき、DVD含め300本くらい観るようになったとき、異変が訪れた。


あまりの眩しさに目が開けられない…知らない白衣のお兄さんがテキパキと動いている様が目に入り、私は自分が病院にいることを瞬時に悟った。手術台に横たわっていたわけでもないのに、なぜあんなにライトが光っていたのだろう。今考えると謎だが、それはともかく、私は救急車で運ばれたのだった。


一回目は過労ということで、点滴を打ってもらうだけで済んだ。
だが、二回目に救急車で運ばれた時は、怪我のため、緊急手術が必要となった。
年老いた親に「手術同意書」にサインをさせ、徹夜をさせてしまったことに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

仕事に命をかけているならともかく、ここまで趣味に没頭してしまう自分は間違っているような気がする。「映画を通して世界を知る」ことは、とても素敵なことだ。知らなかった世界を知り、異文化の相互理解ができることも素晴らしいこと。でも、救急車で運ばれるほど力をいれなきゃならない趣味だったのだろうか。

映画を観る時間を捻出するために断ってきた人付き合いとか、自分の人生の中で「これもやっておきたかった」ということが本当はあるのでは、とか…このまま死んでも本当に自分の人生に悔いがないんだろうかと考えさせられた。死ぬかもしれなかった経験を通し、これまでの自分の行動を振り返ることとなり、私は打ち砕かれた。映画を観るのはもうやめて欲しいと懇願する母親を振り切ることが、どうしてもできなかった。

私はスクリーンで観る映画が最高に好きなのだけど、映画館には通いにくくなった。
結局年間の映画鑑賞数を50本に減らすことにした。退院後、3ヶ月程自宅療養をすることになったが、やはり生活もあるので働かなくてはならない。そろりそろりと自分でもできそうな仕事をさせていただき、生活の基盤を整えるのに1年半くらいかかった。観る映画は増えつつあるけれど、基本的にはまだ抑えている。

このことをきっかけに、量は観れないけど、良作を見抜く力をつけよう、自分好みの作風を選べるようになろうと考えるようになり、このブログをはじめることになった。「見抜く力」なんてすごく偉そうな、おこがましい言い方だけど、そろそろ自分の中で映画とどう向き合うかの決着をつける時期に来ているのではないかと思うようになった。

療養期間にブログ運営について色々考えたのだが、なかなか形が定まらなかった。
序盤、280字程度のショートレビューを試みたものの、全然書けなくて、現在の形に至る。
「映画を通して世界を知る」そんな楽しさを教えてくれたTIFFへのお返しのつもりもあって、国・地域を限定しないタイプを選んだ。矢田部さんのブログを10年読むとこういう人が育つ、というモデルケースになれると嬉しいと思った。

だが、残念ながらブログでのそういう試みは現時点では全くもって失敗しており、読者に意図が伝わっていないところが苦しい。
でも、そこでもう一度自分の立ち位置を振り返る。 私はアマチュアなのだ…
マチュアならではの立ち位置や視点、作品の選び方を極めることはできないのだろうか。
↑ 今ココ。

体調はかなり回復し、仕事もソコソコの勢いでできるようになってきた。
仕事が忙しいし、だんだん体力もなくなってきているので(加齢による体力低下)、もう以前のようなペースでは映画を観ることはできないだろう。
観たい映画が観れない焦りや迷いは続くものの、やはり私は映画で生きることを選びきれなかった。その覚悟が持てなかったことに、自責の念もある。
だからこそアマチュアとしてできる限りのことを、自信を持ってやりたい。関わりたい。

そんなこんなで今年は、TIFFの全期間に有給休暇を当てることを決めた。
10年目の今年はせっかくなので、コンペティション部門の全作品を観てみることにした。
(本当は観たいアジア映画もあったのだけど…)

映画祭最終日、監督としてコンペティション部門に新作を出品された杉野希妃監督を会場でお見かけした。私のような者が話しかけるのはおこがましいことなのだけど、勇気を持ってお声をかけた。監督の活躍ぶりに比べ、私の10年はなんてちょっとなんだろう、と思う。でも、思い起こすと涙が出るぐらいに色々あったので、私は監督と話しながら、ちょっと泣いてしまった。

10年映画ファンやってても一人も友達ができなかった、マイノリティ感。
仕事でもないのにマイナー映画を観ること、ブログを書くことに、なんの意味があるのか。
仕事との両立に悩んだり、親をこれ以上泣かせたくないという思い。
↑もちろんこんなことは直接杉野監督には言わなかったけれど、いつか監督にお会いできる日が来ることを楽しみにしていたし、その日を待ちわびてずっと応援してきたことを興奮しながらお伝えした。
10年の節目に、私は映画ファンを終わりにしてもいいのかもしれない。


杉野監督のエネルギーと美しさと優しさに圧倒されながら、今年お会いできたことに、何か意味があるような気がしている。
怪我の経験をバネに素晴らしい作品を生み出した杉野監督と、私の違いは「覚悟」だと思う。
今度倒れたら、寝たきりか一生薬漬けになるのだけれど、そのリスクを顧みず、私は映画ファンを続けていけるだろうか。


703(ナナゼロサン)