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特集:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品に浸る

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ジェイラン監督の作品を「食」に当てはめると、スローフードだ、と思う。
高級食材を使い、美食家たちを唸らせるような素晴らしい料理もこの世にはある。だが、自分の畑で採れた新鮮な野菜を使い、手間暇かけた料理にかなうものはないと私は思っている。私はそう思うが、そうは思わない人もいるとは思う。

ジェイラン監督の映画も、鑑賞後、誰もが同じ感想を持たないような気がする。起承転結がはっきりしている訳でなく、これといった見せ場及び号泣シーンがあるわけでもない。トップアイドルを起用しているわけでもなく、誰もが胸を打つような感動的なラストでもない。

冠婚葬祭などで客人をもてなす時、スローフード(ごった煮みたいな家庭料理)は、あえて出さないように(出す人もいるかもしれないが、一般的ではないという意味)、映画にも「誰もが感動する映画」とそうでない映画があると思う。カンヌ受賞歴の多い監督に何てことを!と言われてしまうかもしれないが、日本で流行るとはなかなか思えない作風である。

ジェイラン監督作品に惹かれるのは、自分以外の人間の姿を客観的に見られることに面白味を感じるからだと思う。私は普段から日常に不条理や疑問、不安などを感じている人間なので、色々と考えてしまうことがある。

だが、第三者として映画を観ていると、登場人物の問題(悩んでる原因)より、天気だったり街中の様子だったり、以外と別のことに着目している自分に気づく。第三者の眼差しは当事者よりも幅広いようだ。

また日常には、「人に相談するほどのことではない、特に人には話さないような些細なこと」があることにも気づく。例えば、家族など心許せるはずの一番身近な人たちにも、全てを筒抜けにしているわけでなく、元気な自分を演じていたりとか。いちいち口に出さないだけで多少の差はあれど、誰しもが心と態度、気持ちと言葉を少しずつズラしながら、帳尻を合わせるようにして生きているような気がする。

映画の中で会話はゼロ、という訳ではないが、ジェイラン監督作品は全体的に少なめだと思う。言いかけてやめる、というようなことも結構リアルにありそうなシチュエーションだ。自分の心情を伝えるような会話は少なく、相手の目を見て状況(様子)を読んでいるのも印象的。言葉がないと、結局本当のところはわからずじまいということも少なくはない。だが、日常だって普通全部を言葉にしないものだ。
そこにリアルティを感じる。

「だから?」「それで?」で終わる映画もこの世にはある。ジェイラン監督作品もその系統かもしれない。だけど、私にとってはとてもとても大切な映画。困難に直面する登場人物たちを責めていない感じがいい。生きていれば何かしら問題がある。それにどう向き合うか、ただそれだけ。
シンプルだけど丁寧に作られたスローフードのように五臓六腑に沁み渡る作品を、愛さずにはいられない。


トルコ映画の巨匠;ヌリ・ビルゲ・ジェイラン映画祭で3本の作品を鑑賞した。
(以下、ミニレビュー↓)

◼︎冬の街(2002)


求職中の若者&居候を受け入れてやる男。

田舎から仕事を求めて出てきた男が登場するところから映画が始まる。こんな居候がずっといたら迷惑だろうなぁと思いながら見ているのだが、最後は居候を受け入れてやった方の男の姿で終わる。不思議なことに彼を見ながら、感謝の言葉のひとつもなく勝手に出て行った若者の気持ちがわかるような気がしていた。映像に映っている人の姿を見ながら、映っていない人のことを思い描くという、何とも不思議な経験。
求職中の若者も居候を受け入れてやる男も、完璧な善人とか聖人とかではないが、それほど悪い奴ではない。どうしたら良かったのかは第三者から見てもわからない。だた、悪気はなかったけど相手を傷つけたであろう後味の悪さみたいなものは、お互いに感じていたことだろう。
人を助けること、わかりあうことは、本当に難しい。


◼︎スリーモンキーズ(2008)


駄目が連鎖する家族。

毎日を共にしているのだからわかり合ってるよね、という甘えを家族には持っていたりする。1から100まで説明しなくても、自分の性格や好みなど、ある程度は理解されていると思い込んでいるからだ。だが、必ずしもそうではない、と気づかされる。見えないこと、言わないこと、あえて聞かないことなんかもあったりして、ある意味、遠い存在なのかもしれない。
そんなことやったら後悔するよ!と家族ですら思うようなことを、この映画の人たちは独自の判断でやってしまう。家族のためだったり、親の言うことを聞くためだったり、子どものためだったりするはずなのに、何故か見当違いな方向に。良かれと思って始めるのに、悪い方へ悪い方へ…そんなことが日常にもないとは言えない。また、バラバラに見えても、死んでしまった子どもの記憶は共通のもので、あえて共有しようとしなくとも、誰も忘れてはいないことにハッとする。


◼︎うつろいの季節(とき)(2006)


人生はタイミング。

とにかく映像が美しい。ジェイラン監督作品といえば灰色の空、そして雪、というイメージが強いのだが、この作品は様々な景色がとにかく鮮やかでキレイ。 夏そしてビーチ!もあるし、観光地、ロケ地、街中、家の中のインテリアなどなど、ストーリー以前に目を見張る映像が満載。カフェやホテル、書店、大学…どれもステキだったなぁ。帽子をかぶったおじいちゃんもかわいい。
もちろん、ストーリー的にも心惹かれるところはあって、私はとにかくオンナ目線で見て共感しまくっていた。(男性は男性の心理に共感するハズ)ちょっとしたタイミングですれ違っていくところがリアルに感じられるのだが、特に上手く表現されているなぁと感心したのはオルゴールのところ。男は思い出を美しいものにしている(可憐な音色が同情を誘う!)のだが、女にとっては一旦決別した過去の思い出なんてどうでもいいのだ。安心して眠れる場所さえあれば、それだけでいいのに。。。


参考;cinemarble.hatenablog.com

cinemarble.hatenablog.com

2015/7/8 トーク
「国際映画祭とトルコ映画 ヌリ・ビルゲ・ジェイランを中心に」抄録