陽に灼けた道

2011|監督:ソン・タルジャ|チベット


自分を見つめる時間

とても許すことのできないことをやらかしてしまった時、絶望のあまり死にたくなる。致し方のない事情で他人は納得したり、慰めてくれたりしたとしても、自分は自分を許せない。そんな場合、最もつらいのは生きることだ。魂の真っ直ぐな清らかな人ほど「生きること」がつらいのでは。この映画の主人公は何を考えているのかがわからないままスクリーンを見ていたのだけれど、彼の純粋な心に気づいてからは、胸が焼け焦げるような想いになった。まるで自分に罰を与えるかのごとく、人に頼らず、つらい道を選ぶ。彼の苦しい、もがきあぐねる様子を、そっと見守る老人の存在が、いい。また、そういう姿を黙って見守る家族にも、胸が熱くなる。彼の心の変化をじっと待ち、帰りを受け入れる懐の深さには、じんわりと涙が込み上げてくる。都会に生きていると1分1秒に追われ、なかなかゆっくりとものを考えたり自分を見つめる機会が持てない、しかし、時間に追われたり、洪水のような情報に翻弄されたりすることなく、自分軸で生きる大切さを考えさせられるような気がした。ゆっくりと深く息を吸って、根っこの深い人間になりたいものである。

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彼女が消えた浜辺

2009|監督:アスガー・ファルハディ


見覚えのあるような人間模様が、見慣れぬイランの海岸で繰り広げられるというシュール

まず、イランに海があることが驚きだ。激しい波、輝く光、仲間とはしゃぎ、子どもが笑う。そこで起きる突然の事故、失踪。…みんなの笑顔が消える。ファルハディ監督の作品が興味深いのは実はここからである。
その時、人はどうするか。実は誰も悪くはなく、間違ったことを言ってはいない。だが、立場や当事者者との関わりによって発言する内容が異なってくる。ことの重大さから「誰かのせい」にしないと収まりがつかなくなるが、自分のせいにもしたくなく、そんなに自分が悪いのかと声を荒げるようになる。ファルハディ節とも言えるこの状況を、私は密かに「ファルハディの人生劇場」と呼んでいるのだが、よく考えてみると、これを面白がるのはファルハディだけではないのでは? 若い時代から読み込んで来た向田邦子の小説や、『渡オニ』で有名な橋田壽賀子ドラマでもよくある光景のような気がする。私がこんなにファルハディ好きなのは、もしかしたらこういった日本の作品に昔から馴染んで来たせいなのかもしれない。

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